Tokyo walking with X100T
2016年 11月 25日
宮崎に戻ってから10年以上が経った。
そうは言っても、年に一度か二度、仕事や友人の結婚式やらで東京には足を運んでいる。
今回、初めて妻と一緒に歩いた。
妻も北関東の大学に在籍していたのだから、馴染みがまったくないところではない。むしろ自分より詳しかったりする。
思えば、毎回上京するたびに、自分はというとかつて馴染みがあった場所ばかりにしか行っていない。
初めてではなかろうか、馴染みの場所にまったく行かなかったのは。
とは言っても、仕事で行くのはかつて住んだことのある街であったし、バイト先だった銀座にも足を運んだ。
とは言っても、よく通っていた居酒屋さんの移転先に顔も出したかったし、バイト先のチーフに顔も見せたかった。
4年間というのは、あまり活動的でなかった自分にとってもけっこうな濃度だったように思う。
そんな4年間で気づいたことがある。それは日差しだ。
冬場に近づくとあっという間に日が落ちる。「秋の日は釣瓶落とし」とはよく言ったものだが、九州にずっと住んでいる自分にとって、その言葉は知りこそすれ、実感のある言葉ではなかった。確かに日ははやく沈む。だが、だからどうした、そんなにするする~と落ちていくと言うほどではなかろうに。そんなものであった。
ところが東京で暮らし始めると、冬場の太陽はもう午後の3時ごろには斜めのオレンジ色になってきて、夕暮れが始まることを感じさせるのだ。
たぶんに、一時間くらいの差が、東京と九州にあるのだと思う。
今回みたいにちょっと上京したりすると、よけいにこの差を感じてしまう。
そうしてその光が、銀座のビルに反射したり、落葉樹の枝の隙間に零れ落ちたりする光景は、自分にとっての「東京の風景」となっている。
東京は斜陽がドラマチックなのだ。
今回の旅では仕事の合間を縫ってさんざん歩いた。
庭園美術館のボルタンスキー展も観たし、そこからひたすら(結果的に)原宿へ向かって歩いた。
銀座ではこれまで行ったことがなかった有楽町から銀座7丁目に寄ってさらに1丁目より向こう側へも歩いてみた。
そのどれもが斜陽が建物を照らす時間帯で、それだけで何故か不思議と懐かしさとか、寂しさを感じた。
それらの光を上手に捉えているとはいえないけれど、東京は街ごとに趣を変えるので、撮り歩くのは楽しい。その街並を照らし出す光を思い出すと、また、何の用もなくとも、あの街と街と街を、駅から駅へ、大通りから小道へと歩いてみたくなってくる。
そのときの季節は、やっぱり晩秋がいい。