岐路で立ち止まる。
2011年 06月 24日
科学が発展していくにつれて私たちの自由というものは自己責任という無謀へ変化していく。誰かが定めた規程に身を置くか、それを反故にするかも自由だが、それで得た損失はきちんと自己処理せねばならない。たとえそれが、自己という個では未来予測の不可能なものだとしても。
そしてほとんどの事象が予測不可能であるという事実を、私たちは遠巻きに見ているだけしかできないでいる。誰かが定めた規程に乗っ取ったとしても、「私たちのアナウンスを信じたのはあなたです」としか返ってこないのなら、私たちはもう何も選べなくなる。
そう、選べないのだ。
だからとりあえず欲するのは、今というとりあえずの平穏だけ。その平穏すら一秒後の未来には変化を来しているかもしれないという事実には、目を瞑るしかない。
岐路に立たされ続ける。それはつまり何も選べないから、何も選ばないことを選ぶということかもしれない。
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speedstar-dhy at 2011-06-25 23:41
こんばんは。深みのある良い写真ですね。
ひとりの人間として、また子を持つ親としても
最近はいろいろなことを考えてしまいます。
人もそうですが、国もそういう時期に来ているのかも
しれませんね。
ひとりの人間として、また子を持つ親としても
最近はいろいろなことを考えてしまいます。
人もそうですが、国もそういう時期に来ているのかも
しれませんね。
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eureka_kbym at 2011-06-26 06:38
speedstar-dhyさん
コメントありがとうございます。
いろんな本や雑誌をちょろちょろ読みますし、ネット上をうろうろしていると、まさにそんな状況の人がいるなあといった感じがします。
それがいいとか悪いとかではなく、しかし、100年後、同じようなあり方で生活が続いているとは、思えなくなってきました。
コメントありがとうございます。
いろんな本や雑誌をちょろちょろ読みますし、ネット上をうろうろしていると、まさにそんな状況の人がいるなあといった感じがします。
それがいいとか悪いとかではなく、しかし、100年後、同じようなあり方で生活が続いているとは、思えなくなってきました。
by eureka_kbym
| 2011-06-24 23:45
| EOS 5D markⅡ
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