祈りという名前のついた懊悩
2019年 07月 08日
2016年の冬のことだったから、もう2年と少し前か。
あれからちょっといろいろあって、できるだけ伯父のところに連絡したりはしている。
この夏も、時間さえ許せば行楽ついでに伯父のところに顔を出そうと思っている。
下関に行く時は前回もだけれど、なぜか一眼レフを持って行く。
景観や撮影対象を考えると一眼レフなんだろうというのもあるのだけれど、その旅の前に、つい一眼レフで「おお、やっぱりいいじゃん」と思う一枚が撮れたりしているからなんだろうというのが、実際の話かな、と改めて思ったりもする。
ただ、今回は、島につながる橋だとか、宿も関門海峡の目の前ということもあって、やっぱり一眼レフを選ばざるをえなかったのだろう、なんにしても、あのびょーんと伸びる島への橋は、圧縮効果を効かせて撮りたかった。
そのせいもあって、子供の運動会のためだなんだと言いながら100-400を買うことになったのだった。
伯父から植木をもらった。
本当は松をもらいたかったのだけれど、立派な姿に、妻が多少日和って、僕も枯らして終わりじゃないかと日和って、あの立派で風格漂う松はもらえなかった。代わりに楓とかケヤキ、ボケだったか、その三種をいただいた。
毎朝の水やりが結構大変だけれど、きちんと成長してくれればと思う。
by eureka_kbym
| 2019-07-08 23:28
| EOS6D
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